画面キャプチャーにて画像拝借(docomoジョジョスマホ特設サイト)
昨晩、スカパーで『愛しのローズマリー』という映画を見たんだ。
ラブコメディなんだけど
何気に見たのに、ずいぶん心に響いてね。
あらすじはこうだ。
主人公の男は、自分も容姿が良くないってのに
死んだ父親の遺言に取りつかれたようになってしまって
人を完全に見た目で判断するような
失礼な男になり下がってたんだけど
ある日、エレベーターの中で
『魂の真実の姿が見える』という催眠術をかけられる。
それ以後彼から見た世界は一変してるんだけど
彼は気付かない。だってそれしか見えてないからね。
そして出会ったローズマリーは
知性あふれ、最高に優しくセクシーな美女。
彼は一目で恋に落ち
付き合えば付き合うほど、彼女の優しさと知性の虜に。
しかし本当は、彼女は130キロを超える巨漢女性だった。
そして彼の催眠術が解かれてしまい・・・。
つ~ような話なんだけども
セカンドライフを経験したことない人や
セカンドライフの世界に懐疑的な人からしたら
非常にバカげた考えかもしれないけど
ボクはセカンドライフで生きるようになってからこっち
いつの頃からか
セカンドライフのアバターは『魂の姿なのではないか』と考えるようになった。
そこまでじゃないにしても
少なくとも、その人の望む姿になってるわけで
それって
映画『マトリックス』みたいに
実はそれぞれの皆の思念とか望みみたいなものからくる
映像が見えてるだけにすぎず
その状態で体験してきたことを『現実』としてるだけみたいな
そんな世界が来るのだとして
セカンドライフは、その入り口なんじゃないか?とか
まあ・・・こうやって書いてると、ただのキチガイにしか見えないだろうけども
なにしろ、アバターは魂の姿説で
これまでのいろいろを思い返してみるに
結構納得いく部分もあったりするんだよね。
長くなりすぎる感じするから、細かく触れないけど。
理想の自分を反映させているのだから
まさに理想のこのアバター、マイテ・フラナガンなんだけども
『今、流行りの』スキンであったり
『今、流行りの』ファッションをしていたり
『今、流行りの』シェイプカスタムではないというのは承知で
それでも、マイテ・フラナガンは自分の理想で
早い話が、セカンドライフの世界を通じて
自分がやってきたこと、得たこと、言葉を紡いだことのすべては
このアバターだったからこそ、できたことだったりする。と思ってて。
でもリアルの自分は違うよね。
こんななりはしていないし、こんなにアレコレ出来っこない。
でも、このアバターを操作して
感情移入もたっぷりさせて・・・ってこれ
魂の憑依くらいの話のような気もするんだけど
とにかく『中の人』は、同じ自分なんだよね。
現実でやれないことに
現実よりはずっと気楽に、気負いなくチャレンジできる世界。
それがセカンドライフなんだけど
それでも・・・
ボクはできるよ!ボクはやってみせるよ!ボクを信じて!と
そう願いながら強く強く訴え続けても
届かない・・・前に立ちふさがる壁みたいなのはあって。
しかも猛烈に、どうしようもなく、すぐここにあって。しかも無数にね。
ん~。うまく言えないな、やっぱ。
ボクの魂の姿は
本当に、マイテ・フラナガンかもしれないのに
現実の見える世界での自分は、こうじゃない。ということによる
ギャップ、みたいなものは乗り越えられない。
愛しのローズマリーでは
催眠術にかかってた頃みていた人々の姿と
真実の姿とのギャップをいくつも見ながら
彼の心に変化が出てくる。
そしていよいよ
本当は巨漢のローズマリーの真実の姿を見ても
愛してしまった彼から見たら
とてつもなく美しく見え、もちろん愛も変わらず
二人で幸せ。ハッピーエンド。てのだったんだけど
あ、ネタばれして申し訳なかったんだけど
つまり・・・
ボクという人間の
本質、魂、肉体、状況もろともを愛してくれる人
好いてくれる人、望んでくれる人ってのは
いるのかねえ?
たかがTwitterアカウントごときですら
マイテ・フラナガン名義ではなく
『ただの人』ということでやったら、結構、世界は総スルーなわけで。
何にスルーってのはまたこれ
書き出すと長くなるから割愛するけど
セカンドライフやってない普通の人ですら
マイテ・フラナガンとしてツイートしてる言葉と
『ただの人』としてツイートしてる言葉とで反応がまるで違うわけです。
中身は一緒なんすけどね。
さて。何が言いたかったのか
例にもれず、さっぱりわかんなくなってまいりましたが。
周りが、というより
自分が、そういうとこに拘りすぎてるだけかもしんないけどね。
『愛しのローズマリー』は
見る人に、いろんな問題提起をしてくれるんじゃないかな。と思う。
ヒロイン役のグゥィネス・パルトローが
巨漢の姿になって実際のレストランでロケした時の
周りの自分を見る目を
体感して感じたことなんて言う話も
結構興味深かったり。
目に見えるものの脆さと不確かさ。
しかしこれの、どうにもならない影響力の強さ。
そんなことを、最近強く強く、感じているのでした。
男でも女でもないとかいうような
微妙な現実を抱えた自分だから
そんなこと、考えるんだろうし
感じるんだろうけどね。
←これをぽちっとするといいと思う。
3 件のコメント :
ふらふらとリンクを飛び漁っていたらたどり着きました。はじめまして
話題にされている映画を見たことがあり、また自身がsecondlifeの住人である自分には実に興味深いエントリーでした。
secondlifeのavatarは魂の姿なのではないか、という言葉少なからず自分も同じように考えています。
本人がどれだけこの世界に重きを置いているかで多少変わりはしますが追求さえしていけばほぼ完全に完璧に理想の自分に近づいていけるわけですから、立ち振る舞いもおのずと自分がこうありたい自分に近づいていける訳で。
こうありたい自分の振る舞いというのは現実生きている自分とはまるで違うかもしれませんが、現実を生きていく上では沢山の柵があり、直面していく問題も回避の仕方も太刀打ちの仕方も違うかと思うのです。そうなってくるとどうしても、中の人間は同じであるはずなのに外から見える自分はまるで別人のようになっていく。
「これもまた自分である」という意思とは裏腹にRLとSLの自分では周りのあり方はまるで違うかもしれませんが、それはそれでまた仕方が無い事であり、きっと愛される事にも憎まれる事にも嘘はないのでしょう
というのが自分の中の持論と見解です。長々と失礼致しました
secondlife内でお会いしたことは残念ながらありませんが、いつかこういった話題で深く語れる事があればよいですね
こんにちは
きっと最初で最後のコメントかと。
komatta xue
もう記憶のかなたでしょうね。
「この子はだめよ」
なぎさちゃんに紹介されたとき彼女がそう言う陰で「なんちゅー恐い世界やろか」そんな風に思った物です。なつかしい。
日照りがきつくて、ね、あのときのまま(大爆笑
ずっと自分を大切に、そう思ってます。
そのこころのまま、が、大切、ですよね。
守るべきは自分の、こころ。
お疲れ様、ありがと、またいつか(ほほえみ
お返事すっかり遅くなってごめんなさい。
■匿名さん
コメントありがとうございます。
SLの中の自分、アバターという
言わば『器』或いは
『自分という人間のコピーロボット』の中の自分の魂
みたいな位置づけ仮定の上で
このエントリーを書いたんだけれども
こういうことは何もSLだけでなく
RLでも普通にあるよな、と
このエントリーを挙げた以後に思ったりもしたのでした。
RLでも、何らかの栄光?ていうのか
例えば学校で言うたら『先生に大々的に褒められた!』とか
会社内で言うたら『営業成績で賞を取った!』とか
逆に『ひどい失敗をやらかした』とか
様々な何らかの些細なことでアレ大きなことでアレ
そういうちょっと目立ったことがあるってだけで
良くも悪くも何らかのレッテルを貼られ
以後、自分は自分だが自分にあらず。
なんだか虚像が仕事してるかのよう。みたいなことになったり。
どちらも自分なんだけど
なんか・・感覚的に
すごく変な話なんだけど『本アカはよ』みたいになっちゃう。
自分という本来の姿で生きてないみたいな
ライブ感の無さの中で生きてるみたいな風になったり
なんだかみんなどこみてんの?何見てんの?みたいな気になったり。
そしてまた
外的要因(つまり人から見た自分が要因)でそうなるばかりでなく
今回のこのエントリーに自分が書いたように
自らそのような事態にはまって行く時もあって。
いずれにしても
匿名さんが仰るように
『どれも自分である』というのと同じに
他人が見て感じて捉えている反応のすべてもまた本物なのでしょう。
もうすぐ自分は
SLを実質上引退しようとしているところなので
なかなかそれまでにお会いできないのではないかと思いますが
それでも、同じ世界に住んでいた『生きた人間』として
ここにコメントしていただけたこと、感謝です。
■こまったちゃん
記憶の彼方なんてこた~ないですよ。
ちゃんと覚えているし
自分の店も、自分自身も
セカンドライフ内で移転に移転を重ねる中で
とんとお見かけしないな?くらいのもんで。
自分を大事にしなきゃだめね。
理由はどうあれ、とにかく、なにはさておき
とにかく自分を。生きてる、自分を。
またいつか。お元気で。
コメントを投稿